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大阪地方裁判所 昭和62年(わ)1242号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件公訴事実は、『被告人は、昭和四六年一〇月大阪府東大阪市市議会議員に当選し、現在まで引き続き同議員として同議会議等における質問、質疑、表決及び市政に関する調査等を行う職務を有しているものであるが、昭和六〇年八月初旬ころ、同市柏田〈住所省略〉のし尿浄化槽清掃業者A方において、同市におけるし尿浄化槽清掃作業に関する費用の助成措置等に関して同市議会本会議で、右し尿浄化槽清掃業者らに有利な質問をしたことに対する謝礼及び将来も同様右業者らに有利な質問、質疑、表決等をしてもらいたいことに対する謝礼として供与されるものであることを知りながら、右Aから現金五〇万円の供与を受け、もって、自己の前記職務に関して収賄したものである。』というのである。

二  本件で取り調べた関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

東大阪市の通称西地区(旧布施市に相当する地域)では公共下水道の普及率の上昇に伴って、し尿浄化槽(以下、単に「浄化槽」という。)設置者が減少する傾向にあったため、同地区の浄化槽清掃業者(以下、単に「業者」という。)は、将来仕事が減少して廃業を余儀なくされる事態を懸念し、右清掃業務を市の委託業務とすることによって、市から転廃補償を受けられるようにしたいと考え、そのための当面の布石として、昭和五七年ころから、浄化槽設置者が業者に支払うべき清掃料金の一部を市が負担することによって援助する制度(以下、「助成金制度」という。)の採用を東大阪市に申し入れるなどしていたが、昭和五八年五月、浄化槽法が制定公布されて(昭和六〇年一〇月一日施行)、浄化槽設置者に義務づけられる浄化槽の清掃回数がそれまでの年一回から年四回以上に増加することとなる機会をとらえて、従前生し尿汲取業務が市の委託業務として運用されてきたことによる生し尿汲取世帯と浄化槽設置世帯との負担の格差是正を口実に、助成金制度を採用させるべく、東大阪市議会の公明党の議員らを通じて、市当局と議会に対する工作等を開始した。しかしながら、東大阪市から浄化槽清掃の許可を受けている二七業者によって結成された大阪府衛生管理協同組合東大阪市部(以下、「府協同組合支部」と略称する。)は、同市との交渉に際し、権利能力がないことなどを理由に交渉を打ち切られるなどしたため、前記西地区で浄化槽清掃業を営むAらにおいて、地元九業者を集め、昭和六〇年三月に法人格を有する東大阪環境事業協同組合(以下「環境事業組合」と略称する。)を設立し、その相談役にA、理事長にB、副理事長にC、理事にD(いずれも西地区の業者)がそれぞれ就任したうえ、同組合を足場に助成金制度採用に向けての運動を推進するに至った。

Aは、昭和六〇年五月中ころ、かねて右運動として議会工作等を依頼していた公明党所属の東大阪市議会議員Eから、同年六月開催予定の同市議会(以下、「六月議会」という。)における右助成金問題の審議に当たり、共産党に反対されないための根回しをしておいたほうがよい旨助言されたので、当時右問題の審議を担当していた環境経済常任委員会の委員長であった同市議会共産党所属議員の被告人に働きかけることとし、そのころ、被告人と面識のあるDに対し、被告人に対する右根回しを依頼した。そこで、Dは被告人に対し、電話で手短かに助成金問題についての協力方を依頼し、さらに同年六月一〇日すぎころ府協同組合支部事務所に来訪した被告人に対し、A、D、Bらが助成金制度の必要性を説明したうえ、この制度について議会で業者に有利な質問をするよう依頼した。その結果、被告人が右依頼を引き受けてくれたとの感触をもったAらにおいて、被告人に謝礼として現金五〇万円を贈ることを相談した。Aは、同月二〇日被告人が六月議会で右依頼の趣旨に沿った質問をした旨聞知したことから、そのころBに対し、被告人に対する謝礼金として五〇万円を準備するよう指示し、翌二一日府協同組合支部事務員FがBの指示により阪奈信用金庫玉川支店における同組合支部名義の預金口座から払い戻しを受けた現金五〇万円(のし袋に包み、さらにこれを茶封筒に入れたもの)をBを介して受け取ったうえ、Aの経営する○○興産株式会社の経理係Gに命じてこれを同会社事務所応接室の金庫に保管した。そして、Aは、翌二二日ころ、Dに電話をして、右現金を保管しているので同人から被告人にこれを渡してほしい旨伝えたが、同人が「議会の会期中だから今すぐ渡すのは具合が悪い。」などと言ったため、後日渡すことにして、引き続きAが右現金を右状態のまま保管していたところ、同年八月初旬ころ、被告人が南部地域盆踊り実行委員会委員のHとともに盆踊りの寄付集めに東大阪市柏田〈住所省略〉A方(一階部分には○○興産株式会社の事務所及び応接室がある。)を訪れたことから、この機会に右現金五〇万円を被告人に贈ろうと考え、前記Gに指示してのし袋に入った右現金五〇万円を持って来させ、同所において、前記公訴事実記載の謝礼の趣旨で、被告人にこれを供与した。

三  以上の認定事実によれば、右現金を被告人に提供するについてAに贈賄の意思があったことは明らかであるが、被告人は、捜査及び公判の各段階を通じて終始本件公訴事実を否認し、公判廷において、同事実記載の日時場所で現金五〇万円をAから受け取ったことはあるが、これは南部地域盆踊り実行委員会主催の盆踊りへの寄付金として受領したものであって、賄賂として供与されるものであることの認識は全くなかった旨供述するので、以下に右認識の点について検討を加える。

1  さきに認定したとおり、被告人がAから本件公訴事実記載の日時場所で現金五〇万円の提供を受ける以前に助成金問題に関連して業者側と直接の接触をもったのは昭和六〇年五月中旬ころDから電話を受けたときと、同年六月一〇日すぎころ府協同組合支部の事務所を訪れたときの二回に尽きるところ、I、Eの検察官に対する各供述調書、Jの検察官に対する昭和六二年三月二〇日付供述調書、Bの検察官に対する昭和六二年三月二五日付供述調書(二四枚綴の分)、第三回及び第四回各公判調書中の証人Aの供述部分、第五回及び第六回各公判調書中の証人Dの供述部分、証人Kの当公判廷における供述及び被告人の当公判廷における供述並びに東大阪市議会会議録の写しによれば、Dの被告人に対する右電話の内容は、「浄化槽法の施行により市民の負担が増大するので、公明党の議会での発言に反対しないで、協力してほしい。」「詳しい事情は市の担当職員である環境事業部環境整備課のJ課長に聞いてほしい。」という程度の簡単なものであったため、被告人は一応これを了承したものの、その具体的な趣旨内容がわからなかったこと、そこで、被告人は、昭和六〇年六月一〇日ころ、右J及び環境事業部次長Iを共産党議員控室に呼び、浄化槽をめぐる当面の問題点及び浄化槽法制定の趣旨についての説明を受けたが、これらの点についての予備知識が極めて乏しかったため、その説明をほとんど理解することができなかったこと、被告人は、当時共産党東大阪市議会議員団の内部決定により六月議会で一般質問に立つことが予定されていたので、その質問のなかで浄化槽問題を取り上げることとし、その質問事項の素案を作成したうえ、さらに業者側の説明を聞くべく、さきに認定したとおり同月一〇日すぎころ府協同組合支部事務所を訪れ、A、Dら環境事業組合幹事四名と会い、同人らの前で右素案を読み上げたが、助成金制度について全く触れられておらず、業者側の期待に程遠いものであったため、同人らにおいて生し尿汲取世帯との格差是正のために浄化槽設置世帯につき助成金制度が必要である旨をるる説明し、来る六月議会で市当局に対し、助成金制度の採用の必要性並びに浄化槽清掃回数の増加の広報の二点について質問するよう要請したこと、しかし被告人は、なおかつ業者側の説明を十分に理解できず、業者側の真意を把握できないまま、Aらに了解の意を伝えたところ、Aらは、被告人の帰り際に、被告人に対し、「よろしくお願いします。」「あとでお礼をさせてもらいます。」「あんじょうさせてもらいます。」などと言い、これに対して被告人は、「いえいえ。」「もうけっこうですよ。」などと応答して、笑顔で右事務所を立ち去ったこと、その後被告人は、浄化槽問題を含めた六月議会での一般質問事項を共産党東大阪市議会議員団にはかり、その協議を経てこれを確定したうえ、同月二〇日の同市議会本会議において市当局に質問をしたこと、その質問の内容は、大別して老人福祉問題、市民健診問題など六項目に及んでおり、そのひとつとして浄化槽問題を取り上げ、(1)浄化槽法の制定によって、浄化槽の保守点検、清掃等の回数が年一回から年四回以上に増え、市民負担が増加することに対する市の対応方法及び(2)浄化槽清掃回数が年四回以上とされるについて、回数の市民への義務付けや宣伝のあり方の二点について質問をしたが、保健衛生部長から(1)保守点検、清掃等の回数は現行の指導している回数と異なるところはなく、(2)市民にはパンフレット、市政だよりなどによって啓発運動に努める旨の答弁を得た程度で、再質問は老人福祉問題に終始し、浄化槽問題についてはそれ以上の突込んだ質疑応答はなされなかったことが認められる。

以上の事実によれば、被告人は、かねて面識のあったDから浄化槽にからむ助成金問題について議員としての立場で協力してほしい旨の依頼を受けてこれを了承したものの、市当局及び業者の説明を十分に理解できず、ことに業者の要望の核心を把握しないまま、一般質問事項のなかの一項目として浄化槽問題を取り上げ、共産党東大阪市議会議員団の協議にかけて同党の方針に沿って決定された質問を六月議会においてしたものであって、これらの経過に照らして、被告人がDの依頼により、浄化槽問題について市当局や業者側の話を聞いてこれを六月議会の一般質問事項のひとつに取り上げようとしたことは認められるものの、積極的に業者側の意向に迎合して専らその要望に沿う有利な質問等をする意図をもって行動したとまでは認めがたく、従って自己の質問が業者側の特段の便宜を図るもので賄賂の対象となりうる性質のものであるとの認識まではなく、Aらから「あとでお礼をさせてもらいます。」と言われた際にも、それが賄賂の提供を意味するとまでは思い及ばず、これに対する被告人の応答も、社交的儀礼としての相手方の言辞を軽く受け流す類のものにすぎなかったとみる余地も十分に存するのであり、右応答によって、被告人とAらとの間に賄賂の授受が約され、或いは被告人が将来における賄賂の提供を予測するに至ったものと認定することはできない。

2  本件で取り調べた関係各証拠によれば、さきに認定したとおり、被告人は、昭和六〇年八月初旬ころの午後、共産党南部地域後援会及びその支持団体等で組織する南部地域盆踊り実行委員会の委員であるHとともに盆踊りの寄付金を集めるため、事前の連絡等もなく突然A方を訪れたこと、Aは、被告人らを一階応接室に通し、テーブルを囲んで、被告人らから盆踊りの寄付金を集めに来た旨の来訪の趣旨を聞くなどしばらく雑談を交わしたあと、前記Gを呼んで同室内の金庫からのし袋に包まれた現金五〇万円が入った茶封筒を持って来させ、同人からこれを受け取ったうえ、茶封筒から現金五〇万円在中ののし袋を取り出してこれを被告人らの方に差し出し、Hが所携の集金用の紙袋のなかにおさめたこと、右のし袋には、表書きや金額等の記載は一切存しなかったことが認められる。

ところで、証人Aは、Aが被告人らにのし袋を差し出した際、「組合からのお礼です。」又は「組合から預っています。」と言った旨供述するのであるが、この点については、証人H及び被告人はいずれも右文言は聞いていないと供述しており、当時Aにしてみれば、素性の知れないHを目前に置いて、被告人から業者のために有利な取り計いを受けたことに対する謝礼の趣旨で右金員を提供するものであることをあからさまに言えない状況にあり、従って被告人らの右訪問中、浄化槽問題や市議会の動きに関連する話題は一切出なかったことが証拠上認められ、また、証人H及び同Lの当公判廷における各供述によれば、右金員を最後に受け取った南部地域盆踊り実行委員会において、これを○○興産株式会社からの寄付金として処理していることが認められることなどに照らすと、証人H及び被告人の右各供述は、これに牴触する証人Aの右供述が存するとはいえ、一概に排斥しがたいものといわなければならない。また、証人Aは、Aが右のし袋を被告人に直接手渡しており、被告人は、礼を言ってこれを受け取ったうえ、さらにこれをHに手渡した旨供述するのに対し、証人H及び被告人は、Aは右のし袋をテーブルの上に置き、そのまましばらく雑談を交したあと、帰り際にHがこれを手に取って紙袋に入れたので、被告人は右のし袋に手を触れていない旨述べるところ、右Aの証言を真実と認むべき確証は未だ見出しがたく、従ってまた、被告人が右A方において右のし袋の中に盆踊りの寄付金としては異例に多額の現金が入っていることに気付かなかったことが不自然であると断定できるだけの証拠も見当たらない。さらに証人Aは、右のし袋を被告人らに渡した際、「○○興産の寄付金は、改めて盆踊り当日に会場に持参する。」旨述べたと供述するのであるが、右供述自体必ずしも終始明確であるとはいいがたく、またGの検察官に対する供述調査中には、○○興産株式会社の帳簿には、昭和五九年度の盆踊り寄付金三万円の記載はあるが、昭和六〇年度分についてはその記載がなく、Aがポケットマネーで出した旨聞知したこともないとの供述記載があり、他にも昭和六〇年度の盆踊りの際に○○興産株式会社の寄付金をAが会場に持参したことを確認できるだけの証拠は見当らないのであって、結局Aの右証言は未だ信用しがたいものというほかない。

四  以上の諸事情、ことに、被告人とAらとの間の賄賂授受の約束ないし被告人のこれに対する期待又は予測が事前に存したことを証拠上認めがたいことに加えて、昭和六〇年六月一〇日すぎころ府協同組合支部事務所で被告人がAらに会って以来、本件の現金五〇万円を受け取った同年八月初旬ころまでの約二か月間に、被告人がAら右組合関係者らと接触をもち、或いは同年六月二〇日の市議会本会議における被告人の質問について右組合関係者らから何らかのあいさつがあった形跡はもとより、右現金受領の当日にも右質問やこれに対する謝礼に関連する話が出た形跡も証拠上窺いえないのみならず、被告人が本件当日の同年八月初旬ころA方を訪れた目的は、専ら盆踊りの寄付金を集めることにあったのであって、その際前記議会での質問する謝礼を期待していたことを窺わせる証拠は存在せず、また右現金在中ののし袋授受の状況に関する関係人の各供述を検討してみても、その際被告人が特にぎこちない態度を示したとか、右現金の額を察知したというような事情も窺えないのであるから、被告人において右のし袋在中の現金が盆踊りへの寄付金であると思い込み、さきの議会での質問に対する謝礼とまでは思い至らなかったとしても、あながち不自然とまではいいがたい。なお、証人H、同Lの当公判廷における各供述及び被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は、右のし袋を受け取ったあと、その日のうちにHの妻が経営する喫茶店「××」に持ち帰り、そこでのし袋を開いて五〇万円の現金が入っているのに気付いたが、これを他の寄付金と一緒にして前記盆踊り実行委員会の会計担当Lに引き渡し、以後同人において同委員会の用途にあてるため保管していたことが認められるところ、右金額が寄付金としては異例の多額であったとはいえ、そのような先例がなかったわけではなく、Aの資力に照らしても必ずしも考えられない金額でもなかったことなどの諸事情をも勘案すると被告人が右現金を知ったという事実をとらえて、この事実から直ちに、右時点で被告人に賄賂性の認識が生じたとの認定を導くことも困難である。

五  以上のとおり、本件全証拠を検討してみても、本件につき賄賂の認識の点を否認する被告人の弁解を排斥して、これを積極的に認定するにたりるだけの証拠は見当たらず、結局被告人に対する本件公訴事実はその証明が不十分であって犯罪の証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法三三六条によって無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷村允裕 裁判官 中川博之 裁判官 高見秀一)

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